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日本プロ野球からメジャーに挑戦した歴代日本人プレーヤーまとめ

プロ野球ファンの皆様、こんにちはじょへーでございます。

今では毎年のように日本プロ野球(NPB)からメジャーリーグ(MLB)へ移籍する選手も増えてきましたよね!

野茂英雄投手や初のWBCから2大会連続(2006年2009年)世界一の立役者イチロー選手、現在では再度WBCで日本代表世界一の中心選手となった大谷翔平選手が異国の地世界最高峰のプロ野球リーグで大活躍していますよね。

今回は、日本プロ野球からメジャーリーグへ挑戦した歴代日本人プレーヤーを徹底的にまとめてみました!

日本人選手が初めてメジャーデビューしたのは村上雅則選手の1964年

ご存知ではない方もおられるかもしれませんが、日本人選手が初めてメジャーリーグ(MLB)でプレーしたのは1964年〜1965年にサンフランシスコジャイアンツに在籍しメジャー登板を果たした村上雅則投手です。

2人目の日本人プレーヤーは野茂英雄投手で1995年となります。

実にメジャーリーグ(MLB)の歴史の中でも1995年の野茂英雄投手が移籍するまで実に30年間、日本人メジャーリーガーがいなかったということになります。

日本球界(NPB)出身歴代メジャーリーガー

村上雅則

南海ホークス(1962年〜1963年)→サンフランシスコジャイアンツ(1964年〜1965年)→南海ホークス(1966年〜1974年)→阪神タイガース(1975年)→日本ハムファイターズ(1976年〜1982年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振WHIP
1963南海300--------2.022.00
1964SF9101--1.00015.0150.60
196545418--.80074.1851.06
1966南海4664----.60096.1661.09
19674131----.75080.1601.22
196840184----.818177.2901.02
19693179----.438119.0471.44
1970321111----.500191.1751.14
1971381415----.483234.2781.26
197233119----.550147.1571.37
19732324----.33365.2271.52
197410120--.33324.2100.65
1975阪神18211--.66719.181.60
1976日本ハム32100--1.00053.0171.43
197761746--.636112.1781.02
197857121110--.522130.2591.18
1979455311--.62598.2421.33
198037232--.40067.0311.46
198117110--.50020.1101.82
19822000------2.012.00
NPB:18年5661038230--.5571642.17581.24
MLB:2年54519--.83389.11000.99
太字はリーグ最多

サウスポー投手として高卒で南海ホークス入団後の1964年にサンフランシスコジャイアンツ傘下の1Aフレズノに野球留学で派遣されました。この際に南海ホークスとサンフランシスコジャイアンツとの間にメジャー昇格選手が出た場合は金銭トレードとして1万ドル(2024年3月現在のレートで約146万円)という条件がありましたが、南海ホークスはまさか昇格者が出るとは想定はしていなかったようです。しかし、実際にサンフランシスコジャイアンツは村上をメジャー昇格させ、MLBで初の登板を果たし、これが結果的にNPB出身の日本人初メジャーリーガーとなりました。次の日本人メジャーリーガーは1995年の野茂英雄まで約30年間1人も出ておらず長い年月を要しました。それでも村上雅則が大きく注目されていなかったのはMLB昇格以前にNPBで好成績を上げたわけではないという点も大きいかもしれません。

野茂英雄

近鉄バファローズ(1990年〜1994年)→ロサンゼルスドジャース(1995年〜1998年)ニューヨークメッツ(1998年)ミルウォーキーブルワーズ(1999年)デトロイトタイガース(2000年)ボストンレッドソックス(2001年)ロサンゼルスドジャース(2002年〜2004年)タンパベイデビルレイズ(2005年)→レオネスデルカラカス(2007年)→カンザスシティロイヤルズ(2008年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1990近鉄291880--.692235.02872.911.17
19913117111--.607242.12873.051.28
1992301880--.692216.22282.661.23
19933217120--.586243.12763.701.43
199417870--.533114.01263.631.60
1995LAD281360--.684191.12362.541.06
19963316110--.593228.12343.191.16
19973314120--.538207.12334.251.37
199812270--.22267.2735.051.40
NYM17450--.44489.2944.821.44
98計296120--.333157.11674.921.42
1999MIL2812800.600176.11614.541.42
2000DET3281200.400190.01814.741.47
2001BOS33131000.565198.02204.501.35
2002LAD3416600.727220.11933.391.32
200333161300.552218.11773.091.25
20041841100.26784.0548.251.75
2005TB195800.385100.2597.241.77
2008KC30000----4.1318.693.23
NPB:5年13978461--.6291051.112043.151.32
MLB:12年32312310900.5301976.119184.241.35
太字はリーグ最多

一般的に日本人メジャーリーガーのパイオニアとして知られるのが野茂英雄投手でしょう。NPBからドラフト1位に近鉄バファローズに入団し、大活躍していた最中の94年オフに球団や首脳陣との間に大きな溝が出来たため、契約更改が完了せず近鉄以外の球団ではプレーできないようになる任意引退選手になりました。これにより国内球団ではプレーできなくなり、MLB挑戦のきっかけとなりました。結果的にはMLB初年度からトルネード旋風と呼ばれる野茂フィーバーとなりMLB通算でも123勝を挙げました。ここからメジャーに挑戦するNPB日本人プレーヤーが沢山でるようになります。

長谷川滋利

オリックスブルーウェーブ(1991年〜1996年)→アナハイムエンゼルス(1997年〜2001年)シアトルマリナーズ(2002年〜2005年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回被本塁打奪三振防御率WHIP
1991オリックス281291--.571185.0151113.551.26
199224681--.429143.112863.271.32
1993231260--.667159.212862.711.22
1994251191--.550156.112863.111.38
1995241270--.632171.016912.891.27
199618461--.40087.212555.341.70
1997ANA503703.300116.214833.931.41
19986183510.72797.114733.141.21
1999644626.40077.014444.911.48
200066106918.66795.211593.481.44
20014656011.45555.25414.041.29
2002SEA538318.72770.14393.201.28
200363241612.33373.05321.481.10
20046846012.40068.05465.161.44
2005461303.25066.24304.191.23
NPB:6年14257454--.559903.0795153.331.33
MLB:9年51745443383.511720.1764473.701.33
太字はリーグ最多

立命館大学から1990年にドラフト1位で入団し、入団1年目から先発ローテ入りし活躍し、1996年オフに日本人選手では初めての金銭トレードでアナハイムエンゼルスと契約した選手となりました。(1964年の村上投手のケースは情報がありませんでした)この当時は現在のようなポスティングシステムはなく、個別に球団と金銭トレードで契約する形態でした。メジャー移籍後は先発ではなくリリーフ投手として毎年50試合以上の投げるタフネス右腕としてエンゼルス、マリナーズを支えました。また、マリナーズ移籍後はオリックス時代の同僚であったイチローともチームメートになっています。

伊良部秀輝

ロッテオリオンズ・千葉ロッテマリーンズ(1988年〜1996年)→ニューヨークヤンキース(1997年〜1999年)モントリオールエクスポズ(2000年〜2001年)テキサスレンジャーズ(2002年)→阪神タイガース(2003年〜2004年)→ロングビーチアーマダ(2009年)→高知ファイティングドッグス(2009年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1988ロッテ14251--.28639.1213.891.22
198933029--.00051.0503.531.25
199034850--.615123.21023.781.47
199124380--.273100.2786.881.79
199228050--.00077.0553.861.49
199332871--.533142.11603.101.29
19942715100--.600207.12393.041.27
19952811110--.500203.02392.531.12
1996231260--.667157.11672.401.06
1997NYY13540--.55653.1567.091.67
1998291390--.591173.01264.061.29
19993211700.611169.11334.841.33
2000MON112500.28654.2427.241.66
200130200.00016.2184.861.50
2002TEX3838162.27347.0305.741.43
2003阪神271380--.619173.01643.851.35
20043020--.00011.2713.112.57
NPB:11年273726911--.5111286.112823.551.32
MLB:6年1263435162.493514.04055.151.40
太字はリーグ最多

日本では当時最速となる159キロの速球を持つ球界を代表する投手としてロッテで活躍していましたが、1996年オフにニューヨークヤンキースへの移籍希望を表明しました。当初ロッテは提携球団のサンディエゴパドレスに伊良部の保有を譲渡するかたちをとりましたが、それでも伊良部側はこれを受け入れず、結果的に三角トレードという形でヤンキースへの入団が決まりました。こうした事を受け、マスコミの評判が悪くなってしまいましたが、メジャー2年目は13勝を挙げるなど活躍しました。晩年期には阪神タイガースへ移籍し2003年にはこれまでの球速に翳りはあったものの卓越した経験からくる投球術で優勝に貢献しました。

柏田貴史

読売ジャイアンツ(1990年〜1996年)→ニューヨークメッツ(1997年)→読売ジャイアンツ(1998年〜2005年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1994巨人16100--1.00018.0103.501.56
19952000------4.046.752.25
19968010--.00011.013.271.45
1997NYM35310--.75031.1194.311.69
1998巨人2000------2.000.000.5
199952010--.00032.1235.011.24
200050200--1.00053.0362.891.04
200139000------27.2193.581.12
20023100--1.0003.210.000.82
200321001------20.1114.871.38
200410000------14.1106.281.67
NPB:10年203421--.667186.11153.911.26
MLB:1年35310--.75031.1194.311.69
太字はリーグ最多

1989年ドラフト外で巨人に入団しましたが、2軍暮らしが続きましたが1997年ニューヨークメッツのスプリングトレーニングに野球留学として参加しました。その中で当時監督のボビーバレンタインからオファーがあり、そのまま巨人を自由契約となり、メジャー契約を果たしました。結果的にセリーグ史上初のメジャーリーガーとなりました。メッツでもリリーフとして登板を重ね3勝を挙げましたが、内容が悪いということで自由契約になり、シーズンオフにはメッツも含む11球団での争奪となりましたが、ドラフト外で獲得してくれた巨人への恩もあり、契約しました。提示条件は巨人が一番悪かったと言われています。その後は巨人の左腕リリーフエースとして活躍し2000年の巨人日本一にも貢献しました。

吉井理人

近鉄バファローズ(1984年〜1994年)→ヤクルトスワローズ(1995年〜1997年)→ニューヨークメッツ(1998年〜1999年)→コロラドロッキーズ(2000年)→モントリオールエクスポズ(2001年〜2002年)→オリックスブルーウェーブ・オリックスバファローズ(2003年〜2007年)→千葉ロッテマリーンズ(2007年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1985近鉄2010--.0003.0121.003.00
19862000------2.1223.145.14
198713210--.66736.0234.751.58
19885010224--.83380.1442.691.28
1989475520--.50084.1442.991.35
1990458915--.47174.1553.391.48
199121212--.66726.1133.421.37
19929100--1.00011.242.311.03
199322550--.500104.2662.671.19
199421770--.50097.0425.471.60
1995ヤクルト251070--.588147.1913.121.13
1996251070--.588180.11453.241.24
1997281360--.684174.11042.991.13
1998NYM29680--.429171.21173.931.28
19993112800.600174.01054.401.30
2000COL2961500.286167.1885.861.52
2001MON424700.364113.0634.781.35
2002314901.308131.1744.111.33
2003オリックス24271--.22276.0436.511.62
20043010--.0003.2217.183.55
2005156500.54573.2334.031.21
2006197900.438101.2333.811.29
2007101600.14340.2145.751.60
ロッテ40300.00012.1413.142.92
07計141900.10053.0187.471.91
NPB:18年3858982620.5201330.07633.861.34
MLB:5年162324701.405757.14474.621.36
太字はリーグ最多

1983年ドラフト2位で高卒で近鉄バファローズに入団し、主にリリーフエースとして活躍しましたが、1994年オフにトレードでヤクルトスワローズに移籍し、先発ローテの一角として活躍します。しかし、1997年オフにFA権を取得し日米問わずオファーがあった中、自身の移籍がチームの戦力低下を招くのではないかという不安もあった中、当時監督の野村克也から選手として他球団への移籍を進言され、メジャー移籍を決断。結果的にMLBでも1999年に12勝を挙げるなど活躍したのちに日本球界復帰後も5年間プレーしました。引退後は投手コーチとして様々な投手の育成に携わりながらも筑波大学大学院で学びを深めるなど持つ経験に加えて更に深く野球を求道し、千葉ロッテマリーンズの監督として指揮をとるなど野球界でも重要な存在として輝きを放っています。

木田優夫

読売ジャイアンツ(1987年〜1997年)→オリックスブルーウェーブ(1998年)→デトロイトタイガース(1999年〜2000年)→オリックスブルーウェーブ(2000年〜2001年)→ロサンゼルスドジャース(2003年〜2004年)→シアトルマリナーズ(2004年〜2005年)→東京ヤクルトスワローズ(2006年〜2009年)→北海道日本ハムファイターズ(2010年〜2012年)→石川ミリオンスターズ(2013年〜2014年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1989巨人8210--.66737.0264.621.49
1990321287--.600182.21822.710.99
199119471--.36450.1446.441.63
199229360--.33393.1874.531.48
199335772--.500131.2973.351.28
199428681--.42987.2614.931.40
199540790--.438121.2973.401.22
199633792--.438123.2993.781.25
199739227--.50049.2531.991.39
1998オリックス364716--.36497.1744.621.37
1999DET4910141.00064.2506.261.59
200020000----2.2010.131.88
オリックス24333--.50041.1315.661.77
200113211--.66719.1183.721.24
2003LAD30100.00012.083.001.50
200430000----4.250.001.07
SEA70000----9.258.382.07
04計100000----14.1105.651.74
200510000----2.004.501.00
2006ヤクルト5635823.37558.1473.091.44
20075013216.25048.2443.141.44
20081920031.00020.2123.051.02
2009303405.42948.2315.551.54
2010日本ハム215203.71452.2304.781.63
201130000----4.034.501.50
201210000----1.000.003.00
NPB:19年516738250*50.4711269.210363.911.33
MLB:5年651114.50095.2685.831.60
太字はリーグ最多

1986年ドラフト1位で高卒で読売ジャイアンツへ入団し、オリックスを経て1999年にデトロイトタイガースへ移籍しメジャーデビューを果たします。その後2000年シーズン途中にデトロイトタイガース退団後はオリックスへ復帰し、その後はメジャーと日本球界を行き来するようなキャリアを過ごしました。メジャー、日本球界を含む現役後半はリリーフ投手としてチームを支えました。MLBでは目立った活躍と言えるほどではありませんでしたが、5年間在籍しました。

大家友和

横浜ベイスターズ(1994年〜1998年)→ボストンレッドソックス(1999年〜2001年)モントリオールエクスポズ・ワシントンナショナルズ(2001年〜2005年)→ミルウォーキーブルワーズ(2005年〜2006年)→トロントブルージェイズ(2007年)→クリーブランドインディアンス(2009年)→キンタナロータイガース(2010年)→横浜ベイスターズ(2010年〜2011年)→富山サンダーバーズ(2013年)→ブリッジポートブルーフィッシュ(2014年)→富山GRNサンダーバーズ(2015年)→福島ホープス(2015年〜2016年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1994横浜15110--.50028.0184.181.68
19953000------9.161.931.71
199614010--.00018.0119.502.28
19982000------2.019.002.00
1999BOS81200.33313.086.232.08
2000133600.33369.1403.121.38
2001122500.28652.1376.191.68
MON
WSH
101400.20054.2314.771.37
01計223900.250107.0685.471.52
20023213800.619192.21183.181.24
200334101200.455199.01184.161.40
2004153700.30084.2383.401.39
2005104300.57154.0173.331.31
MIL227601.538126.1814.351.37
05計3211901.550180.1984.041.35
2006184500.44497.0504.821.37
2007TOR102500.28656.0215.791.61
2009CLE181500.16771.0315.961.35
2010横浜227900.438121.2624.591.37
201170600.00032.2146.891.56
NPB:6年638170*0.320211.21125.231.54
MLB:10年202516801.4291070.05904.261.39
太字はリーグ最多

1993年ドラフト3位高卒で横浜ベイスターズへ入団しました。しかし1998年まで僅か1勝のみと1軍と2軍を行き来するような状況でしたが、1998シーズンオフに横浜ベイスターズが了承しFAとなりボストンレッドソックスとマイナー契約を結びました。移籍初年度の1999年からメジャー登板を果たし、その後モントリオールエクスポズ(現ワシントンナショナルズ)へ移籍し、2度の二桁勝利を挙げるなど、メジャーの先発ローテの一員となりました。通常では日本球界で目立った活躍の後にメジャーリーグ挑戦というのがセオリーでしたが、1軍半の状況ながら、メジャーチームでの主力となった選手として語り継がれる存在となっています。

佐々木主浩

横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ(1990年〜1999年)→シアトルマリナーズ(2000年〜2003年)→横浜ベイスターズ(2004年〜2005年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1990大洋
横浜
16242--.33347.2445.851.66
1991586917--.400117.01372.001.05
19925312621--.66787.21352.460.98
1993383620--.33355.0843.271.02
1994313110--.75046.0592.150.91
1995477232--.77856.2781.750.83
1996394325--.57149.2802.901.07
1997493038--1.00060.0990.900.70
1998511145--.50056.0780.640.80
1999231119--.50023.1341.931.07
2000SEA6325370.28662.2783.161.16
20016904450.00066.2623.240.89
20026145370.44460.2732.521.05
20033512100.33333.1294.051.38
2004横浜251219--.33322.2183.180.93
200590341.0006.059.002.17
NPB:12年4394338252*1.531627.28512.411.01
MLB:4年2287161290.304223.12423.141.08
太字はリーグ最多

1989年ドラフト1位で東北福祉大学より入団した佐々木主浩ですが、主に大魔神の異名を取る抑えの絶対的存在として1998年横浜ベイスターズの日本一に貢献しました。特に各球団の打者がお手上げ状態だったフォークボールと力強いストレートを武器に長らく日本球界屈指の守護神として君臨した後に、2000年にシアトルマリナーズへ移籍しMLBデビューを果たしました。移籍後もMLBマリナーズ在籍の4年間でも守護神の位置で活躍し、4年間で129セーブを上げ、日米通算381セーブを挙げました。日米共に常時抑えの座で起用される投手は今もいるとはいえないので、やはりその功績は今後も語り継がれる事でしょう。

イチロー

オリックスブルーウェーブ(1992年〜2000年)→シアトルマリナーズ(2001年〜2012年)ニューヨークヤンキース(2012年〜2014年)マイアミマーリンズ(2015年〜2017年)シアトルマリナーズ(2018年〜2019年)

年度球団試合打率打数安打二塁打三塁打本塁打堕天盗塁打率出塁率長打率OPS
1992オリックス4099952450053.253.276.305.581
19934367641220130.188.212.266.478
1994130616546210415135429.385.445.549.994
1995130613524179234258049.342.432.544.976
1996130611542193244168435.356.422.504.926
1997135607536185314179139.345.414.513.927
1998135558506181363137111.358.414.518.932
1999103468411141272216812.343.412.572.984
2000105459395153221127321.387.460.539.999
2001SEA15773869224234886956.350.381.457.838
200215772864720827885131.321.388.425.813
2003159725679212298136234.312.352.436.788
200416176270426224586036.372.414.455.869
20051627396792062112156833.303.350.436.786
200616175269522420994945.322.370.416.786
200716173667823822766837.351.396.431.827
200816274968621320764243.310.361.386.747
2009146678639225314114626.352.386.465.851
201016273268021430364342.315.359.394.754
201116172167718422354740.272.310.335.645
20129542340210515542815.261.288.353.642
NYY672402277313152714.322.340.454.794
12計16266362917828695529.283.307.390.696
201315055552013615373520.262.297.342.639
201414338535910213212215.284.324.340.664
2015MIA153438398915612111.229.282.279.561
20161433653279515512210.291.354.376.730
201713621519650603201.255.318.332.649
2018SEA154744900000.205.255.205.460
2019265000000.000.167.000.167
NPB:9年95140983619127821123118529199.353.421.522.943
MLB:19年2653107349934308936296117780509.311.355.402.757
太字はリーグ最多赤字は歴代最高

1991年愛工大名電高校からドラフト4位指名でオリックスブルーウェーブに入団し、入団後2年間はファームでは圧倒的成績を残すも、独特の打撃フォームを首脳陣から指摘を受けるなど、1軍定着となりませんでした。しかし、仰木監督となった1994年に本格的にレギュラーに定着し、そこからMLB挑戦まで1度も譲る事なく前人未到の7年連続首位打者となりました。その後MLBでも安打を量産し続け、2004年にはMLB記録となるシーズン262安打を放ちました。また、20代後半でのMLB挑戦でしたが、MLB通算3089安打を記録し、名実共に日本球界のみならず、MLBでもその名を残しました。

新庄剛志

阪神タイガース(1990年〜2000年)→ニューヨークメッツ(2001年)サンフランシスコジャイアンツ(2002年)ニューヨークメッツ(2003年)→北海道日本ハムファイターズ(2004年〜2006年)

年度球団試合打席打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁打率出塁率超打率OPS
1991阪神131717200010.118.118.118.236
1992953783539816311465.278.320.433.753
1993102436408105131236213.257.305.463.768
199412250646611723717687.251.304.440.744
199587346311701537376.225.294.360.654
19961134734089716419662.238.335.436.771
199713653948211217320688.232.306.405.711
1998132451414922136271.222.275.331.606
199912350747112021714588.255.303.418.721
2000131549511142231288515.278.321.491.812
2001NYM12343840010723110564.268.320.405.725
2002SF118398362861539375.238.294.370.664
2003NYM621241142230170.193.238.246.483
2004日本ハム12354450415028324791.298.327.508.835
20051084063809120120575.239.274.455.729
200612647743811321016622.258.298.416.716
NPB:13年14115629516313092343620571673.254.305.432.737
MLB:3年303960876215414201009.245.299.370.668
太字はリーグ最多

1989年西日本短大附属高校からドラフト5位で阪神タイガースへ入団しました。高校時代から強肩が魅力ではありましたが、打撃では大きく期待されていませんでしたが、1992年にブレークするとパンチ力のある打撃を見せ、また、得意の守備で観客を沸かせました。そして2000年オフにFAとなり、高額オファーがある国内球団ではなく、年俸約2000万円程度のMLBへの移籍を決断します。当時は日本人野手がMLBへ行った前例もなく(イチローも同年にポスティングでマリナーズ入団が決定)日本国内でもトップクラスではなかった打撃成績であったため、懐疑的な声が多くありました。しかし、MLB移籍一年目から通年を通して出場を続け、イチローよりも多い10本塁打を放ち、MLBでも際立つ守備力を見せました。華やかな選手ではありながら、打撃成績はもちろん平均以上に素晴らしいですが、新庄剛志という一番のストロングポイントは「守備の人」であるという点も、新庄剛志の奥深い魅力を引き出しているのかも知れません。

石井一久

ヤクルトスワローズ(1992年〜2001年)→ロサンゼルスドジャース(2002年〜2004年)ニューヨークメッツ(2005年)→東京ヤクルトスワローズ(2006年〜2007年)→埼玉西武ライオンズ(2008年〜2013年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1992ヤクルト12000------28.0224.181.43
199319310--.75059.1664.701.45
199454750--.583108.0984.081.56
1995261341--.765153.01592.761.24
19968150--.16731.0265.231.61
1997181040--.714117.21201.911.05
1998281460--.700196.12413.301.29
199923860--.571133.01624.801.46
2000291090--.526183.02102.611.15
2001271260--.667175.01733.391.24
2002LAD28141000.583154.01434.271.58
2003279700.563147.01403.861.56
20043113800.619172.0994.711.47
2005NYM193900.25091.0535.141.49
2006ヤクルト2811700.611177.21703.441.33
20072891000.474166.21634.161.23
2008西武25111000.524135.11084.321.40
2009229900.500130.01314.291.38
2010189600.600104.2933.701.33
2011236901.400117.0944.311.32
20122410500.667132.1743.331.28
201370103.0005.156.751.69
NPB:18年41914310314.5812153.121153.631.31
MLB:4年105393400.534564.04354.441.53
太字はリーグ最多

東京学館浦安高校から1991年ドラフト1位で入団した石井一久。球界では貴重な左腕から150キロを超えるストレートとキレのいいスライダーで若くからNPBで活躍しました。特に制球にはやや難があったものの、奪三振率の高さはトップクラスで当時のヤクルト投手王国を支えました。そんな中2001年オフにロサンゼルスドジャースがポスティングで落札し2002年にMLBデビューを果たすと初年度から14勝を挙げるなど大活躍しました。2003年も順調に活躍しましたが、頭部に打球を受けて大怪我を負うなどの不運も重なりましたが、最終的に2005年までMLBに在籍し、コンスタントに成績を挙げました。

小宮山悟

ロッテオリオンズ・千葉ロッテマリーンズ(1990年〜1999年)→横浜ベイスターズ(2000年〜2001年)→ニューヨークメッツ(2002年)→千葉ロッテマリーンズ(2004年〜2009年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1990ロッテ306102--.375170.21263.271.30
19912910160--.385212.01303.951.41
1992298150--.348172.21243.961.45
19932712140--.462204.11603.441.29
199414390--.25085.0674.241.28
1995251140--.733187.01692.601.09
1996258130--.381154.2904.541.49
1997271190--.550187.21302.491.15
19982711120--.478201.21263.571.24
1999217100--.412141.2964.071.22
2000横浜268110--.421161.11083.961.26
2001241290--.571148.2743.031.21
2002NYM250300.00043.1335.611.50
2004ロッテ18340--.42981.0475.221.43
2005230011----40.1223.791.41
2006240200.00035.0154.631.31
2007413103.75056.1243.991.37
2008333202.60039.1185.721.45
20091210111.00013.279.881.83
NPB:18年4551171414*7.4532293.015333.711.30
MLB:1年250300.00043.1335.611.50
太字はリーグ最多

後に大豊作ドラフトと言われた1989年に後の千葉ロッテマリーンズであるロッテオリオンズから1位指名を受け早稲田大学から入団した小宮山悟。ドラフト同期には後にメジャーリーガーとなる野茂英雄、佐々木主浩、また、日本球界の歴史に名を残す捕手古田敦也など挙げきれないほどのメンバーが揃っています。ロッテでは主に速球派の先発投手としてチームのローテの軸として毎年打線の援護に恵まれないながら10勝前後を確実に重ね、2000年から2年間は横浜ベイスターズの主力投手として安定した成績を残しました。そんな中、2001年オフにFAでMLBニューヨークメッツと契約し、2002年にメジャーデビューを果たしました。結局メジャーでの在籍は2002年のみで主に中継ぎが主戦場となり、その後野球浪人を経て2009年までベテラン投手として敗戦処理からどんな場面でもチームのために登板しました。

田口壮

オリックスブルーウェーブ(1992年〜2001年)→セントルイスカージナルス(2002年〜2007年)フィラデルフィアフィリーズ(2008年)シカゴカブス(2009年)→オリックスバファローズ(2010年〜2011年)

年度球団試合打席打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁打率出塁率長打率OPS
1992オリックス4714112333100175.268.318.374.692
19933190832371053.277.302.386.688
199410836432910117164310.307.354.419.773
199513057449512224296114.246.308.358.665
199612856950914224174410.279.321.371.692
199713564357216832410567.294.351.416.767
19981325734971352629418.272.338.386.724
199913356952414121195611.269.308.365.673
20001295785091422638499.279.353.389.742
20011345244531272168426.280.343.406.750
2002STL191915600021.400.471.400.871
200343595414313130.259.310.519.829
2004109206179521023256.291.337.419.756
200514342439611421285311.288.322.412.734
20061343613168419123111.266.335.351.686
2007130340307891503307.290.350.368.718
2008PHI88103912051093.220.283.297.580
2009CHC61211310000.273.333.364.697
2010オリックス5313111931603101.261.302.387.689
201162239198541000153.273.333.323.657
NPB:12年1222499544111219224217042987.276.332.384.716
MLB:8年672152413693827471916339.279.332.385.717
太字はリーグ最多

1991年ドラフト1位で関西学院大学からオリックスブルーウェーブに入団した田口壮。入団当初は遊撃手でしたが、送球イップスなどもあり3年目に本格的に外野手に転向すると強肩を生かした守備でイチロー、本西などと鉄壁の外野陣を形成しました。2001年オフにFAで国内球団からもオファーがありましたが、セントルイスカージナルスと3年契約を結び2002年にメジャーデビューを果たします。2年目まで開幕ロースターに入れず出場機会は少なかったですが年数を重ねるごとに連れてスーパーサブとしてチームに足りないものを埋められるスペシャリストとして重宝され、勝負強い打撃でチームを支えました。その後、フィリーズ、カブスと渡り歩きメジャー通算8年と長きに渡って活躍しました。

野村貴仁

オリックスブルーウェーブ(1991年〜1997年)→読売ジャイアンツ(1998年〜2001年)→ミルウォールブルワーズ(2002年)→日本ハムファイターズ(2003年)→誠泰コブラズ(2004年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1992オリックス27125--.33346.1352.531.42
199336338--.50070.2831.530.86
199429346--.42947.2584.341.55
199537312--.75036.2430.980.87
199654415--.80069.1842.861.20
199752458--.44465.0763.601.40
1998巨人24144--.20019.2235.031.88
199915200--1.00013.2161.320.95
200024111--.50020.0216.751.30
200140210--.66737.0344.621.59
2002MIL210002----13.298.562.12
2003日本ハム6000------5.1311.812.25
2004誠泰1000------4.054.502.00
NPB:11年344242239--.522431.14763.211.28
MLB:1年210002----13.298.562.12
CPBL:1年1000------4.054.502.00
太字はリーグ最多

1990年ドラフト3位で三菱重工三原よりオリックスブルーウェーブに入団した野村貴仁。オリックス時代は快速球とスライダーで貴重な左腕のリリーフエースとしてチームを支えました。その後巨人へ木田優夫とのトレードで移籍しましたが、成績がここから低下していき、2001年に自由契約となり巨人を退団したオフに入団テストを受け、ミルウォーキーブルワーズと契約を結びました。2002年にメジャーリーグデビューを果たします。しかし、打ち込まれる試合が多く、同年オフには契約延長となり、その後日本ハムで1年、台湾の誠泰コブラズで1年プレーし引退しました。

松井秀喜

読売ジャイアンツ(1993年〜2002年)→ニューヨークヤンキース(2003年〜2009年)ロサンゼルスエンゼルス(2010年)オークランドアスレチックス(2011年)タンパペイレイズ(2012年)

年度球団試合打席打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁打率出塁率長打率OPS
1993巨人57203184419011271.223.296.451.747
199413056950314823420666.294.368.475.843
199513156950114231122809.283.363.481.845
199613056948715334138997.314.401.6221.023
1997135596484144180371039.298.419.564.984
1998135603487142243341003.292.421.563.984
199913557347114324242950.304.416.6311.047
2000135590474150321421085.316.438.6541.092
2001140611481160233361043.333.463.6171.081
2002140623500167271501073.334.461.6921.153
2003NYY163695623179421161062.287.353.435.788
2004162680584174342311083.298.390.522.912
2005162703629192453231162.305.367.496.863
20065120117252908291.302.393.494.887
2007143633547156284251034.285.367.488.855
200893378337991709450.294.370.424.795
200914252645612521128900.274.367.509.876
2010LAA14555448213224121840.274.361.459.820
2011OAK14158351713028012721.251.321.375.696
2012TB34103951410270.147.214.221.435
NPB:10年12685506457213902451633288946.304.413.582.996
MLB:10年12365056444212532491217576013.282.360.462.822
太字はリーグ最多

1992年読売ジャイアンツからドラフト1位で星稜高校から入団した松井秀喜。高校時代から大注目のスラッガーでした。高校時代に甲子園に出場した際には、警戒されるがあまり、伝説の「5打席連続敬遠」などその存在感は際立っていました。巨人に入団後、2年目の1994年から本格的にレギュラーへ定着し、1998年に初の本塁打王と打点王に輝くと、日本時代には3度の本塁打王、打点王、首位打者にも1度輝きました。そして2002年オフにFAとなりニューヨークヤンキースと契約し、2003年にメジャーデビューを果たします。MLB特有の動くボールに当初は戸惑い、内野ゴロを量産してしまいますが、徐々に順応し、MLB2年目には31本塁打を放ち2021年に大谷翔平がシーズン46本塁打を放つまで歴代日本人メジャーリーガー最高記録でした。MLBでは日本時代のように圧倒的な本塁打数はありませんでしたが、それでも怪我で長期離脱した年などを除いては安定した成績を残し続け、名門ヤンキースでも絶大なる信頼を得るなど、記録以上に野球プレーヤーとして鏡のような存在と言えるのではないでしょうか。

大塚晶文

近鉄バファローズ・大阪近鉄バファローズ(1997年〜2002年)→中日ドラゴンズ(2003年)→サンディエゴパドレス→(2004年〜2005年)テキサスレンジャーズ(2006年〜2007年)→信濃グランセローズ(2013年〜2014年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1997近鉄52457--.44482.21272.071.09
1998493235--.60055.1742.111.23
199925146--.20029.2322.731.15
2000391324--.25041.2492.381.06
2001482526--.28656824.021.02
2002412122--.66742.1541.280.59
2003中日511317--.25043562.090.84
2004SD7372234.77877.1871.751.06
20056628122.20062.2603.591.42
2006TEX6324327.33359.2472.111.07
20073421411.66732.1232.511.08
NPB:7年3051423137--.378350.24742.391.01
MLB:4年23613153974.4642322172.441.16
太字はリーグ最多

1996年ドラフト2位の逆指名で近鉄バファローズに東芝から入団した大塚晶文。1998年には最多セーブに輝くなど近鉄の守護神として2001年には優勝時のチームを支えました。力強いストレートに縦に落ちる鋭いスライダーが特徴の投手で、2003年シーズンオフにポスティングで30万ドルでサンディエゴパドレスが落札し2004年にメジャーデビューを果たします。抑えた際の「よっしゃー!」がチーム内外で人気になりました。メジャー移籍後は守護神ではなく9回へ繋ぐセットアッパーとして2004年は最多ホールドにも輝き、メジャーでも存分に通用することを証明しました。2006年には第一回WBC優勝時の最後のアウトを締めくくるなど、惜しくも2007年に怪我をして実質引退を余儀なくされるまではその存在感は絶大なるものでした。

高津臣吾

ヤクルトスワローズ(1991年〜2003年)→シカゴホワイトソックス→(2004年〜2005年)ニューヨークメッツ(2005年)→東京ヤクルトスワローズ(2006年〜2007年)→ウリヒーローズ(2008年)→興農ブルズ(2010年)→新潟アルビレックスBC(2011年〜2012年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1991ヤクルト13110--.50027.2254.231.45
199223530--.62582.2634.681.45
1993566420--.60078.1722.301.19
1994478419--.66772.1542.861.29
1995391328--.25048.1362.611.16
1996392621--.25050353.241.44
199751747--.63679.1682.040.95
199842233--.40045.1325.561.76
1999401130--.50041.1382.180.97
2000350129--.00034.2292.081.15
2001520437--.00051.2392.611.20
2002440232--.00041.2283.891.15
2003442334--.40042263.001.50
2004CWS5964194.60062.1502.310.98
2005311283.33328.2325.971.61
NYM910011.0007.262.351.83
05計402284.50036.1385.201.65
2006ヤクルト4812138.33342.2312.741.13
20072505130.00023.1156.171.67
2008ウリ
ヒーローズ
1810801.00021180.861.00
2010興農4012262.33343321.880.86
NPB:15年59836462868.439761.15913.201.27
MLB:2年9986278.57198.2883.381.23
KBO:1年1810801.00021180.861.00
CPBL:1年4012262.33343321.880.86
太字はリーグ最多

1990年ドラフト3位で亜細亜大学から入団した高津臣吾。入団当初はコントロールは良かったものの武器となるボールがなく特徴が出せなかったが、1992年の秋季キャンプで当時監督であった野村克也に西武ライオンズの潮崎哲也のようなシンカーを投げるよう命じられてから才能が開花し、1993年から守護神として君臨し、リーグを代表する抑え投手として4度の最多セーブ王を獲得しました。そして、2003年オフにFAでシカゴホワイトソックスと年俸75万ドルの2年契約を結びました。(2年目は球団オプション)2004年にメジャーデビューを果たすとリリーフとして19セーブ、4ホールド、防御率2.31と大活躍を見せました。その後メッツと契約するなど2年間のメジャー時代を過ごし、のちにヤクルトへ復帰し、その後は韓国、台湾、日本国内の独立リーグと最後の最後まで投げ抜いたことが印象的です。

松井稼頭央

西武ライオンズ(1994年〜2003年)→ニューヨークメッツ→(2004年〜2006年)コロラドロッキーズ(2006年〜2007年)ヒューストンアストロズ(2008年〜2010年)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2011年〜2017年)→埼玉西武ライオンズ(2018年)

年度球団試合打席打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁打率出塁率長打率OPS
1995西武69219204459121521.221.245.304.549
199613051847313422512950.283.307.357.664
1997135645576178231376362.309.362.431.793
199813564157517938595843.311.370.442.812
1999135609539178294156732.330.389.482.872
20001356115501774011239026.322.372.560.932
2001140613552170282247626.308.365.496.861
2002140651582193466368733.332.389.6171.006
2003140655587179364338413.305.365.549.914
2004NYM11450946012532274414.272.331.396.727
20058729526768943246.255.300.352.652
2006381391302660172.200.235.269.505
COL3212611339632198.345.392.504.896
06計702652436512332610.267.310.379.689
200710445341011824643732.288.342.405.746
2008HOU9642237511026363320.293.354.427.781
200913253347611920294619.250.302.357.659
20102778711010011.141.197.155.352
2011楽天13957253814034294815.260.294.381.675
201210643340210722494314.266.312.408.720
201312549744811126211581.248.311.388.700
20141284884441293238469.291.342.430.772
2015126501445114171104814.256.324.366.690
20165617916034612133.213.291.300.591
201744837616212100.211.277.342.619
2018西武304139610021.154.195.179.375
NPB:17年191379567190209041165201837363.291.344.450.793
MLB:7年630255523026151242032211102.267.321.380.701
太字はリーグ最多

1993年ドラフト3位でPL学園から入団した松井稼頭央(本名は松井和夫)。高校時代は投手でしたが、野手として指名され、入団当初は守備の動きや走塁、打撃でも苦労しましたが、才能が開花した後は西武ライオンズ、球界の絶対的遊撃手として、セリーグを代表する巨人の坂本勇人も憧れの選手として名前が出るほどでした。2003年オフにFAでニューヨークメッツと契約し、2004年にメジャーデビューを果たします。開幕戦新人としては史上初となる初球初打席本塁打を記録しますが、怪我なども重なり翌年には若手のホセレイエスを起用するチーム事情からその後のメジャーキャリアでは二塁手を守ることとなります。日本時代よりは長打は減りましたが、内野手として出場を確実に続けた点においては素晴らしいところでしょう。その後、楽天でプレーし最終年には埼玉西武ライオンズでプレーし現役を引退しましたが、多くのプロ野球OBが歴代史上最強遊撃手で松井稼頭央の名前を挙げるなど、球史に名を残した選手と言えるでしょう。

井口資仁

福岡ダイエーホークス(1997年〜2004年)→シカゴホワイトソックス→(2005年〜2007年)フィラデルフィアフィリーズ(2008年)サンディエゴパドレス(2008年)→千葉ロッテマリーンズ(2009年〜2017年)

年度球団試合打席打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁打率出塁率長打率OPS
1997ダイエー7625221744638233.203.304.369.673
199813547642193184216612.221.280.432.712
199911642437083151144714.224.310.384.694
20005418516240927235.247.317.457.774
2001140636552144261309744.261.346.475.821
2002114472428111141185321.259.317.423.740
20031356175151753712710942.340.438.5731.011
2004124574510170342248918.333.394.549.943
2005CWS135581511142256157115.278.342.438.780
2006138627555156240186711.281.352.422.774
200790377327821746318.251.340.382.722
PHI45156138421003126.304.361.442.803
07計13553346512427494314.267.347.400.747
2008SD81330303701412248.231.292.304.596
PHI477210000.286.286.429.715
08計85337310721512248.232.292.306.598
2009ロッテ12353044812624319654.281.391.475.866
2010143650531156441171032.294.412.476.888
20111405975091352339731.265.362.375.737
201214057850512930111603.255.343.384.727
201313556648514431223834.297.390.511.902
20141094083578524010491.238.326.389.715
201587250227561716281.247.316.410.726
20167917615239805341.257.341.408.749
20176514412330702150.244.340.350.690
NPB:17年1915753565121760367262511017176.270.358.450.808
MLB:4年4932078184149491114420548.268.338.401.739
太字はリーグ最多

1996年福岡ダイエーホークスへ青山学院大学よりドラフト逆指名1位で入団した井口資仁(指名時は本名の井口忠仁)アマチュア時代から東都大学リーグの本塁打記録の更新、遊撃手であることなど争奪戦が繰り広げられる選手でした。ダイエー入団後は打率は低調なものの長打力と足を活かしたプレーで活躍し、2001年に本格的に二塁手にコンバートされました。その後3割を大きく超える打率に、長打のある打撃でダイハード打線と呼ばれる強力打線の一角を担いましたが、2004年でダイエーホークスがソフトバンクに身売りしたことに伴い契約通り自由契約となり、シカゴホワイトソックスと契約しました。2005年にメジャーデビューを飾ると二塁手のレギュラーとしてワールドシリーズ制覇に貢献する大活躍を果たしました。その後フィリーズ、パドレスと渡り歩き2009年から2017年まで千葉ロッテマリーンズでは主に一塁手として力強い打撃で最後まで大きな存在感を示しました。

藪恵壹

阪神タイガース(1994年〜2004年)→オークランドアスレチックス(2005年)→ティフアナポトロス(2006年)→サンフランシスコジャイアンツ(2008年)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2010年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1994阪神26990--.500181.11103.181.19
1995277130--.350196.01182.981.20
19963011140--.440195.11454.011.31
19972910120--.455183.01113.591.28
19982411100--.524164.0903.511.28
1999286160--.273173.1953.951.34
2000256100--.375151.0954.171.27
200117040--.00055.0264.091.60
2002201060--.625131.2973.141.12
200323830--.72797.2673.961.27
200419690--.400116.1753.021.24
2005OAK4040111.00058.0444.501.55
2008SF603609.33368.0483.571.40
2010楽天110002----11.064.911.36
NPB:12年2798410602.4421655.210353.581.26
MLB:2年10076110.538126.0924.001.47
太字はリーグ最多

1993年ドラフトで阪神タイガースに1位で逆指名し社会人野球チーム朝日生命より入団した藪恵壹。(本名は藪恵一だが入団を機に登録名を変更)暗黒期時代の阪神タイガースで孤軍奮闘するも敗戦が勝利数を上回ってしまうシーズンが多いという不遇な時代を過ごすものの、イニングを稼げる安定した投球が光りました。2004年オフにFAでオークランドアスレチックスに移籍すると中継ぎとして2005年にメジャーデビューを果たしました。以降2006年はメキシコリーグ、2007年は無所属で1人で練習を行うことも多かったなど厳しい経験もしましたが、なんと2008年にサンフランシスコジャイアンツとマイナー契約しメジャー昇格後は中継ぎとして60試合に登板しました。2009年もマイナー契約となりましたが、トップリーグからのオファーはなく、2010年に東北楽天ゴールデンイーグルスと契約し、この年限りで引退しました。

中村紀洋

近鉄バファローズ・大阪近鉄バファローズ(1992年〜2004年)→ロサンゼルスドジャース(2005年)オリックスバファローズ(2006年)→中日ドラゴンズ(2007年〜2008年)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2009年〜2010年)〜横浜ベイスターズ・横浜DeNAベイスターズ(2011年〜2014年)

年度球団試合打席打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁打率出塁率長打率OPS
1992近鉄112727610250.222.222.481.704
19938129100010.111.250.111.361
1994101215192541318360.281.343.484.827
199512952847010719120640.228.307.400.707
199611045441111215126674.273.341.504.845
199712851945510922319683.240.325.426.751
199813256448112514132901.260.363.493.856
199913560151413423031953.261.362.486.848
2000127564476132260391101.277.381.578.959
2001140637525168250461323.320.434.6301.064
2002140602511150271421152.294.400.597.997
20031174563819014123671.236.357.459.817
200410546238710616119660.274.390.468.857
2005LAD174139520030.128.171.179.350
2006オリックス853593287622012450.232.292.409.701
2007中日13052145713424020792.293.359.477.836
200814055749313520024720.274.340.460.800
2009楽天77294263581102260.221.297.285.582
201012952147312623013640.266.329.397.726
2011横浜
DeNA
6212611524311140.209.262.278.540
201212650044212124111611.274.346.407.753
201312247343112119114611.281.334.427.761
201413564912200100.245.321.286.607
NPB:22年226790487890210136313404134822.266.352.469.824
MLB:1年174139520030.128.171.179.350
太字はリーグ最多

1991年ドラフト4位で近鉄バファローズに渋谷高校(大阪)から指名され入団した中村紀洋。高校時代はエースで4番であり、肩も強く、力強い打撃が開眼した後も三塁手としても素晴らしい動きでチームを守備でも支え続けました。また、豪快な打撃が魅力で「ホームランの打ち損じがヒット」という名言も残し、当時では豪快なホームランバッターとして多くの野球少年の心を鷲掴みにしました。2004年オフに大阪近鉄バファローズ消滅を機にロサンゼルスドジャースへ移籍し、2005年にメジャーデビューを果たすも残念ながら活躍することは出来ず、その後はオリックスバファローズ、中日、楽天、横浜・横浜DeNAと複数の球団を渡り歩き、2000本安打を達成し名球界入りを果たしました。

斎藤隆

横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ(1992年〜2005年)→ロサンゼルスドジャース(2006年〜2008年)→ボストンレッドソックス(2009年)アトランタブレーブス(2010年)ミルウォーキーブルワーズ(2011年)アリゾナダイヤモンドバックス(2012年)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2013年〜2015年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1992大洋
横浜
6020--.00016.0218.441.75
1993298100--.444149.01253.811.26
1994289120--.429181.01693.131.35
199526890--.471162.01323.941.30
19962810100--.500196.22063.291.12
1998341351--.722143.21012.941.07
1999261430--.824184.21253.951.13
2000196100--.375115.2975.521.37
2001507127--.87564.2601.671.01
2002391220--.33347.2462.451.09
200317670--.462103.1724.181.21
200416250--.28644.1377.711.74
2005213401.429106.0933.821.33
2006LAD7262247.75078.11072.070.91
20076321391.66764.1781.400.72
20084544180.50047.0602.491.19
2009BOS563322.60055.2522.431.35
2010ATL5623117.40054.0692.831.07
2011MIL3042010.66726.2232.031.13
2012ARI160002----12.0116.751.83
2013楽天3030441.00026.2252.361.31
2014311139.50031.1212.591.34
201530000.0002.117.712.57
NPB:16年403918155*14.5291575.013313.751.24
MLB:7年33821158439.583338.04002.341.06
太字はリーグ最多

1991年ドラフトで横浜大洋ホエールズより1位指名を受け東北福祉大より入団した斎藤隆。当初はコントロールの不安定さや故障がちなところもありましたが、それでも力強いストレートが魅力で各球団にとっては脅威でした。キャリアも終盤に差し掛かった2005年オフにドジャースとマイナー契約を結ぶと2006年、マイナーからメジャーへ昇格しメジャーデビューを果たすとリリーフの絶対的存在として24ホールド、7セーブを挙げるなどの大活躍を果たします。その後7年に渡りメジャーで活躍し、キャリア最後は自身の出身地でもある東北楽天ゴールデンイーグルスでキャリアを終えました。

城島健司

福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークス(1995年〜2005年)→シアトルマリナーズ(2006年〜2009年)阪神タイガース(2010年〜2012年)

年度球団試合打席打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁打率出塁率長打率OPS
1995ダイエー
ソフトバンク
121312200010.167.231.167.397
19961762581420491.241.290.483.773
199712047043213324215686.308.343.477.820
19981224403959919016585.251.309.420.729
199913553949315133117776.306.356.481.837
2000843423039422295010.310.377.485.862
200114057853413818031959.258.305.466.772
200211546341612218025748.293.348.517.865
2003140628551182392341199.330.399.593.993
200411649842614425136916.338.432.6551.087
200511646341112722424573.309.381.557.938
2006SEA14454250614725118763.291.332.451.783
200713551348513929014610.287.322.433.755
2008112409379861907392.227.277.332.609
200971258239591109222.247.296.406.702
2010阪神14460255416829028919.303.352.507.859
20113814413225305130.189.243.326.569
2012244239710050.179.214.205.419
NPB:14年13235284475614062551224480872.296.355.508.863
MLB:4年46217221609431841481987.268.310.411.721
太字はリーグ最多

1994年ドラフトで福岡ダイエーホークスから1位指名を受け別府大学附属高校から入団した城島健司。当初は駒沢大学への進学が決まっていたとされる中での強行指名でした。当時はプロ入りの意思を示す「プロ志望届」という存在そのものがなく、もし現代であれば城島が高卒でプロ入りすることはなかったと言われています。入団後はダイエーの投手陣である工藤、武田とバッテリーを組み経験を重ね、球界を代表する強肩強打の捕手として名を馳せました。そんな中2005年オフにFAでシアトルマリナーズへ入団すると2006年にメジャーデビューを果たし、メジャー史上初のNPB出身メジャーリーガー捕手となりました。初年度は捕手というポジションながら18本塁打、打率.291を記録しMLBでも打力のある強肩強打の捕手の名の通りの活躍を見せました。配球の考え方の日米間での違いなどに苦労もしましたが、捕手というポジションでMLBで出場を続けることが出来たというのは偉大なことではないでしょうか。2010年からはNPBの阪神でプレーし最後は怪我の影響もあり2012年に引退となりました。

松坂大輔

西武ライオンズ(1999年〜2006年)→ボストンレッドソックス(2007年〜2012年)→ニューヨークメッツ(2013年〜2014年)→福岡ソフトバンクホークス(2015年〜2017年)→中日ドラゴンズ(2018年〜2019年)→埼玉西武ライオンズ(2020年〜2021年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1999西武251650--.762180.01512.601.17
2000271471--.667167.21443.971.35
20013315150--.500240.12143.601.25
200214620--.75073.1783.681.02
2003291670--.696194.02152.831.17
2004231060--.625146.01272.901.16
200528141300.519215.02262.301.03
20062517500.773186.12002.130.92
2007BOS32151200.555204.22014.401.32
20082918300.857167.21542.901.32
2009124600.40059.1545.761.87
2010259600.600153.21334.691.37
201183300.50037.1265.301.47
2012111700.12545.2418.281.71
2013NYM73300.50038.2334.421.24
2014343313.50083.1783.891.34
2016ソフトバンク10000----1.0218.005.00
2018中日116400.60055.1513.741.48
201920100.0005.1216.882.63
2021西武10000----0.00--------
NPB:12年2191146510.6371464.114103.041.17
MLB:8年158564313.566790.17204.451.40
太字はリーグ最多

1998年西武ライオンズよりドラフト1位で超怪物投手として横浜高校から入団した松坂大輔。高卒新人としては異例のルーキーイヤーから大活躍で最多勝獲得、2002年で怪我で離脱した以外は全て2006年に日本球界を去るまでは2桁勝利と球団のみならず国際大会でも活躍していたため日本球界のエースと呼ばれていました。そんな中2006年オフにポスティングシステムでレッドソックスから当時史上最高額の落札額5111万1111ドル11セントで落札され鳴り物入りで入団すると2007年にメジャー初登板を果たしました。1年目から15勝、2年目には18勝を挙げる活躍をしましたが、2009年以降は怪我に泣かされてしまい、メジャー通算8年で56勝と期待以上の活躍はできませんでしたがそれでもMLBに松坂の存在感は示していた事は間違いありません。その後、日本球界に復帰後は満身創痍の中、投球スタイルを変え野球人としての奥深さをプロ野球ファンに示しました。

井川慶

阪神タイガース(1998年〜2006年)→ニューヨークヤンキース(2007年〜2008年)→オリックスバファローズ(2012年〜2015年)→兵庫ブルーサンダーズ

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1999阪神7110--.50015.1146.462.35
20009130--.25039.1374.351.40
2001299130--.409192.01712.671.37
2002311491--.609209.22062.491.03
2003292050--.800206.01792.801.17
20042914110--.560200.12283.731.22
20052713900.591172.11453.861.50
20062914900.609209.01942.971.10
2007NYY142300.40067.2536.251.67
200820100.0004.0013.503.25
2012オリックス122700.22262.0364.651.53
201393300.50048.2412.591.34
201482200.50033.0283.821.48
NPB:11年21993721*0.5641387.212793.211.26
MLB:2年162400.33371.2536.661.76
太字はリーグ最多

1997年阪神タイガースよりドラフト2位で指名され水戸商業高校から入団した井川慶。2001年の高卒4年目の年から早くも先発ローテに定着し負け越したもの防御率は規定投球回に到達した上で2.67と優秀な数字を早速残すとそれ以降は毎年2桁勝利、とにかくイニング数を多く投げ、奪三振も多くチームの先発の柱として君臨しました。そんな中2006年オフにポスティングシステムで2600万194ドルという高額でニューヨークヤンキースに落札され、入団しました。2007年メジャー初登板を果たし2勝を挙げるものの3敗を喫し、防御率は6.25と期待通りの活躍ができず、それ以降はマイナー暮らしが続きました。年俸も5年2000万ドルと、ポスティングの落札に加えて当時では高額な契約であったため、今も尚、ヤンキースファンやメディアから「最大の失敗補強」に挙げられてしまうこともあるほどですが、ヤンキースというチーム事情から活躍の機会が与えられなかったことなど不遇な面も否めません。

岩村明憲

ヤクルトスワローズ・東京ヤクルトスワローズ(1997年〜2006年)→タンパベイデビルレイズ・タンパベイレイズ(2007年〜2009年)→ピッツバーグパイレーツ(2010年)→オークランドアスレチックス(2010年)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2011年〜2012年)→東京ヤクルトスワローズ(2013年〜2014年)〜福島ホープス(2015年〜2017年)

年度球団試合打席打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁打率出塁率長打率OPS
1998ヤクルト133000000.000.000.000.000
1999832732527411411357.294.342.500.842
2000130489436121139186613.278.342.472.814
2001136564520149244188115.287.329.452.781
200214057751016335223715.320.390.531.921
200360258232616212355.263.328.461.789
2004138611533160190441038.300.383.583.966
2005144618548175314301026.319.388.555.943
200614562154617027232778.311.389.544.933
2007TB123559491140211073412.285.359.411.770
20081527076271723096488.274.349.380.729
200969260231671621229.290.355.390.745
2010PIT541891653061293.182.292.267.559
OAK103631410040.129.250.161.411
10計6422519634712133.173.285.250.535
2011楽天771971753260090.183.258.217.475
20122679671460150.209.316.343.660
2013ヤクルト7515914235403170.246.314.338.652
201439797418601140.243.291.365.656
NPB:13年11944528403811721882719361567.290.358.494.851
MLB:4年4081751154541374221611732.267.345.375.720
太字はリーグ最多

1996年ヤクルトスワローズからドラフト2位で指名され宇和島東高校から入団した岩村明憲。入団4年目から本格的にレギュラーの座を掴むとフルスイングが持ち味の「ブンブン丸」の相性がついたほどパワフルな打撃が魅力で2004年には44本塁打を記録しました。そんな中、2006年オフにポスティングシステムでタンパベイデビルレイズ(のちにレイズに改称)に455万ドルで落札され入団しました。2007年にメジャーデビューを果たすと日本時代の三塁手ではなく二塁手で起用され、本塁打こそ1桁台に終わりましたが、打率.285と活躍しました。また、2008年には世界一こそ逃すもののワールドシリーズ出場にも大きく貢献しチームに欠かせない存在となりました。その後は怪我の影響で出場数や活躍の機会が減少しましたが、WBC2006年2009年と日本代表の世界一にも貢献しました。

岡島秀樹

読売ジャイアンツ(1994年〜2005年)→北海道日本ハムファイターズ(2006年)→ボストンレッドソックス(2007年〜2011年)→福岡ソフトバンクホークス(2012年)→オークランドアスレチックス(2013年)→福岡ソフトバンクホークス(2014年)→横浜DeNAベイスターズ(2015年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1995巨人1000------5.091.801.40
19965100--1.00012.280.711.74
199725490--.308109.11023.461.38
199814360--.33362.1544.331.49
199937410--.80069.2772.971.00
200056547--.55672.11023.111.16
2001582125--.66762.0702.761.63
200252630--.66755.2583.401.15
200341230--.40038.2294.891.68
200453435--.57146.2533.091.14
20054210011.00053.0564.751.40
2006日本ハム5522420.50054.2632.141.10
2007BOS6632527.60069.0632.220.97
20086432123.60062.0602.611.16
200968600231.00061.0533.391.26
20105644011.50046.0334.501.72
2011710001.0008.164.321.44
2012ソフトバンク5602924.00047.2360.940.84
2013OAK50000---4.012.252.25
2014ソフトバンク4444027.50042.2362.111.08
2015DeNA100202.0007.178.591.91
NPB:15年549384050*74.487739.27603.191.28
MLB:6年266178684.680250.12163.091.26
太字はリーグ最多

1993年ドラフトで読売ジャイアンツより3位指名され東山高校より入団した岡島秀樹。当初は先発での起用も多くありましたが、なかなか安定せずリリーフに転向後安定して登板を続けます。しかし、巨人時代は制球が悪いという欠点もあり、防御率が悪化してしまうケースもありましたが、2006年の日本ハムでの活躍を経てFAでシーズンオフにボストンレッドソックスへ入団します。2007年にメジャーデビューを果たすと日本時代以上に予想外に好投を続けチーム屈指のリリーフエースとして君臨しました。その後、ソフトバンクホークス、アスレチックス、再度ソフトバンクホークス、そして最終年は横浜DeNAと様々な球団を渡り歩きましたが岡島秀樹の振り被りの際に下を向くノールック投法は野球ファンの記憶に残っていることでしょう。

桑田真澄

読売ジャイアンツ(1986年〜2006年)→ピッツバーグパイレーツ(2007年)

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド勝率投球回奪三振防御率WHIP
1986巨人15210--.66761.1575.141.32
1987281560--.714207.21512.171.06
19882710110--.476198.11393.401.14
1989301790--.654249.01552.601.08
1990231470--.667186.11152.511.08
1991281681--.667227.21753.161.10
19922910140--.417210.11524.411.42
1993268150--.348178.01583.991.25
19942814111--.560207.11852.521.09
19959330--.50065.1612.481.09
1997261070--.588141.01043.771.16
1998271650--.762181.01164.081.34
199932895--.471141.21004.071.37
200030585--.38586.0494.501.52
200116452--.44450.1314.831.49
2002231260--.667158.11082.221.11
200314530--.62571.1465.931.51
200416350--.37579.1396.471.61
2005120700.00049.2347.251.77
200631100.50011.256.941.71
2007PIT190103.00021.0129.431.90
NPB:20年44217314114*0.5512761.219803.551.23
MLB:1年190103.00021.0129.431.90
太字はリーグ最多

1985年ドラフト1位で読売ジャイアンツに指名されPL学園高校から入団した桑田真澄。高校時代から甲子園の常連かつ、1年生の時から実質エースで優勝投手となった事、更には同級生のチームメートが清原和博で共に大活躍し「KKコンビ」と呼ばれるなどスーパースターとしてプロ入りました。プロ入り後も期待通りの活躍を見せましたが1995年に試合中にバント処理の際に大怪我をしてしまいこれが後に200勝に到達できなかった原因であるという野球ファンも多くいるほど以降は球威が戻らず打ち込まれてしまうケースもありました。しかし巨人を退団した2006年オフにパイレーツとマイナー契約を結ぶと秋季キャンプは招待選手として参加するもののベースカバーの際に怪我をしてしまい、マイナーリーグでプレーしましたが後にメジャー昇格を果たし2007年にデビューを果たします。結果こそ素晴らしいものではありませんでしたが、イチローとの対戦などもあり、印象的な場面を最後まで見せてくれました。

まだまだ続くMLB挑戦した日本人

非常に長編となりましたので、一旦こちらで終了とさせていただきます。アップデートに乞うご期待くださいませ。

またのお越しをお待ち申し上げております。

ご拝読ありがとうございました。

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