長いプロ野球の歴史の中で、1999年(当時10歳)から本格的にプロ野球を観てきた当サイト管理人じょへーです。
20年以上プロ野球を見続けていると、選手の世代交代など嬉しいながらもどこか寂しさを感じることもあります。
そんなプロ野球好きの私じょへーが今回テーマに沿って書いていきます。
題して!
俺が選ぶセリーグベストナイン集!!
書きます。
※完全に私じょへーの好みでの選出です!
そしてある程度自分が観てきた世代の選手に集中しているとは思いますが悪しからず。
※選手名は敬称略しています。
セリーグ歴代ベストナインはこれだ!
【先発投手】
上原浩治(読売ジャイアンツ→オリオールズ→レッドソックス→カブス→読売ジャイアンツ)
日本時代キャリアハイ:1999年 25登板 20勝4敗 197.2イニング 防御率2.09 179奪三振 WHIP0.90(新人王)※太字はリーグ最多。
通算成績(NPB): 312試合 112勝67敗33セーブ23ホールド 1583.2回 防御率3.02 1400奪三振 WHIP1.01 (1999年〜2008年,2018年 実働11年)
通算成績(MLB): 436試合 22勝26敗95セーブ81ホールド 480.2回 防御率2.66 572奪三振 WHIP0.89 (2009年〜2017年 実働9年)
超個人的になりますが、じょへーの好きな投手ナンバーワンは上原浩治でなのです!必然的に選出させて頂いたのですが、日本での活躍はもちろんのこと、メジャーでも世界一になったレッドソックスの守護神を務めるなど、投手としての栄冠も手にしている素晴らしい投手です。
また、2006年日本が世界に輝いたWBCでも素晴らしい活躍を見せ、大学時代から数えて国際大会25戦無敗という無類の強さを見せてくれました。特に決勝ラウンドでの韓国戦での好投は結果以上にストレートの驚異的な伸びが今でも私の脳裏に焼き付いています。
新人時代から20勝を挙げるなど素晴らしい活躍を見せる中で、他を圧倒するほどの球速があるかと言えばそうでもなく、日本での先発時代でも140キロ中盤辺りのストレートでしたが、生命線であるフォークボール、絶対的なコントロールを持ち味としていました。変化球の大半はフォークボールのみでしたがストライクゾーンにコントロールが出来る他、軌道や変化量を操ることが出来る点が非常に魅力的でした。
コントロールが良く四球が非常に少なく、テンポも非常に早いため、上原が登板する日は特に試合が終わるのが早い傾向にありました。
また、2018年から引退年の2019年までは巨人でプレーしましたが、これもまた個人的になりますが、2018年の京セラドームのオリックスとの交流戦でリリーフで登板した上原が三者三振に抑えるという、上原を初めて生で観戦するその日に素晴らしい投球を見られたことは一生の思い出です。
【中継ぎ】
浅尾拓也(中日ドラゴンズ)
キャリアハイ:2010年 72登板 12勝3敗 80.1イニング 防御率1.68 75奪三振 47ホールド WHIP0.87 ※2020年終了時点でホールド数はNPB最多
通算成績(NPB): 416試合 38勝21敗23セーブ200ホールド 505.1回 防御率2.42 460奪三振 WHIP1.12 (2007年〜2018年 実働11年)
落合監督時代の中日ドラゴンズの中で最強のセットアッパーとして君臨したのが浅尾拓也です。
最速150キロ中盤の力強いストレートに力強い変化球を持ち合わせた剛腕タイプの投手でした。また、フィールディングも非常に上手く、バント処理の場面などで相手のチャンスを潰すなど身体能力が非常に高い選手でした。
リリーフ投手としては通算登板数は416試合とキャリアの大半をリリーフで過ごしてきた投手にしては登板数が少なく、引退前数年は怪我に悩まされてしまいましたが、2010年に記録した47ホールドは2020年終了時点ではNPB記録となっておりその存在感は圧倒的でした。
特に2010年は日本シリーズまで進んだ中日でしたが、ロッテ相手にリリーフとして登板するも結果的に4イニング投げ力投した姿は結果的に敗戦投手になってしまいましたが、「中日のリリーフエースは浅尾だ」という誰もが思ったに違いありません。
【抑え】
佐々木主浩(横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ→マリナーズ→横浜ベイスターズ)
日本時代キャリアハイ:1998年 51登板 1勝1敗 56イニング 防御率0.64 78奪三振 45セーブ WHIP0.80※太字はリーグ最多
通算成績(NPB): 439試合 43勝38敗252セーブ 627.2回 防御率2.41 851奪三振 WHIP1.01 (1990年〜1999年,2004年〜2005年 実働12年)
通算成績(MLB): 228試合 7勝16敗129セーブ 223.1回 防御率3.14 242奪三振 WHIP1.08 (2000年〜2003年 実働4年)
「大魔神」という代名詞で横浜の絶対的抑えのエースとして君臨した佐々木主浩。1998年の横浜ベイスターズが日本一に輝いた際も佐々木の活躍なくしてあり得なかったでしょう。
特に各バッターが苦しんだフォークボールを武器にNPBで252セーブ、MLBで129セーブ日米通算で381セーブを挙げました。
今も尚、佐々木主浩のフォークは凄かったという元選手も多くそれ以上に成績をみていくとキャリアハイを挙げた1998年は防御率0.64と佐々木が登板した9回にリードを許していると相手チームはどうにもならないという状況であったと言えます。
近年は160キロを投げるリリーフ投手も増えてきましたが、私じょへーが野球をみてきた中で無敵感があったのはやはり佐々木でしょう。
【捕手】
古田敦也(ヤクルトスワローズ)
キャリアハイ:1991年 128試合 412打数140安打 打率.340 本塁打11 打点50※太字はリーグ最多
通算成績(NPB):2008試合 7141打数2097安打 打率.294 本塁打217 打点1009(1990年〜2007年 実働18年)
打てる捕手が当たり前だと思っていた自分が間違っていた。そう思わせてくれたのが古田敦也です。1999年からプロ野球を見始めたのですが、当時は古田だけでなくセリーグは谷繁元信(横浜→中日)、西山秀二(広島→巨人)、中村武志(中日→横浜)、矢野輝弘(中日→阪神)など打てる捕手が勢揃いでした。またパリーグになりますが城島健司(ダイエー・ソフトバンク→マリナーズ→阪神)も打てる捕手でした。
その中でも一際、好守で絶対的存在感を放っていたのが古田です。
常にシーズンで.300前後の高打率に時に長打もあり、素人が見ても惚れ惚れするキャッチング、強肩は当時のヤクルトに欠かせない存在でした。
眼鏡であるが故に大学卒業年のドラフト時に各球団から指名回避されてしまうという非常に苦い経験を持っておりそれを跳ね除けて社会人トヨタ自動車からプロへ進み24歳という遅い年齢でのキャリアスタートながら2097本の安打を重ね名球会入りを果たしました。
近年のプロ野球では西武の森友哉以外の捕手は打撃面で非常に苦労しており、今後、古田のような捕手が日本球界に1人でも多く出てくることを願うばかりです。
【一塁手】
新井貴浩(広島東洋カープ→阪神タイガース→広島東洋カープ)
キャリアハイ:2005年 142試合 541打数165安打 打率.305 本塁打43 打点94※太字はリーグ最多
通算成績(NPB):2383試合 7939打数2203安打 打率.278 本塁打319 打点1303(1999年〜2018年 実働20年)
駒沢大学4年間では通算2本塁打、プロ野球では20年で319本塁打と誰もが予想しない大躍進を遂げたプロ野球選手の1人が新井貴浩でしょう。1998年ドラフトは8人指名された中の6位と球団からの期待も高くなかったことが伺えますが、よく聞かれる話が「とにかく練習した選手」の1人でしょう。
本職は三塁手ですが、現役終盤に阪神から半ば構想外に近いところから広島へ復帰してから見事に復活を遂げた印象が特に強く一塁手で選出させて頂きました。
不器用を地でいくような選手だとよく言われていましたが、人より多く練習し、怪我しない身体も一つの才能だと思いますが、とにかく努力で入団時に誰も予想しなかった2000本達成を成し遂げた素晴らしい選手です。
阪神時代は人気球団にいた事もあり、打点王を獲得した2011年もリーグ最多併殺打20を記録した事もあり批判を浴びるなど、なかなか活躍がチームの優勝に結びつかず苦しみました。
しかし、広島へ復帰した2年目の2016年に規定打席に到達し打率3割ちょうど、101打点を記録し見事に復活を遂げ、引退年の2018年まで広島カープ自体もセリーグ3連覇を成し遂げるという、勝ちに飢えていた阪神移籍前の思いが実った形となりました。
「才能だけで人生は成功しない」ということを新井貴浩が私たちに教えてくれたのではないでしょうか。
【二塁手】
荒木雅博(中日ドラゴンズ)
キャリアハイ:2005年 145試合 623打数181安打 打率.291 本塁打2 打点41 42盗塁 6犠打
通算成績(NPB):2220試合 7639打数2045安打 打率.268 本塁打34 打点468 378盗塁 284犠打(1997年〜2018年 実働22年)
1995年ドラフト1位で入団し、長年の下積みの末に中日ドラゴンズの不動の二塁手として2000本安打も達成しました。打撃だけではなく、走塁、小技、特に「アライバコンビ」と呼ばれる遊撃手の井端弘和と共に鉄壁の二遊間を長年形成してきました。
キャリアハイでも2000年に唯一、打率.300に到達したものの規定打席到達年度は全て2割台と突出した打撃成績はありませんでしたが、彼が打席に立つと井端が前後にいたこともあり、非常に相手チームからは「嫌がられる」打者の1人でした。
打撃成績だけを見れば近年の山田哲人(ヤクルト)など他にも選手はいますが、落合監督時代の相手チームからみた選手としての嫌らしさはその成績以上に存在感があったため選出させていただきました。
【三塁手】
村田修一(横浜ベイスターズ→読売ジャイアンツ)
キャリアハイ:2008年 132試合 489打数158安打 打率.323 本塁打46 打点114 出塁率.397 長打率.665 OPS1.062※太字はリーグ最多
通算成績(NPB):1953試合 6925打数1865安打 打率.269 本塁打360 打点1123 (2003年〜2017年 実働15年)
プロ野球の歴史の中でも2000本安打に到達しなかったのが悔やまれる選手の中でも上位に入ってくるのが村田修一。歴代で三塁手と言えば長嶋茂雄がいますが、本コーナーでは私じょへーが観てきた選手メインとさせて頂いています。
横浜時代はとにかく2008年に46本で本塁打王を獲得するなどとにかく強打者として鳴らしました。しかし2012年に「勝てるチーム」を求めて巨人へ移籍してからは2012年の統一球の影響に加え、重圧のあるチームでのプレッシャーなどから打撃不振に陥る事もありながらも打撃スタイルを変えるなどして2013年と2016年には3割以上を記録するなど打てる三塁手として、更には軽快な守備も光りました。
東福岡高校時代はエース投手でしたが、当時無敵を誇った松坂大輔を目の前にし、「投手では松坂に勝てない」と悟り、大学進学後に野手へ本格的に転向し卒業時にはドラフトに自由枠で指名される選手へ成長したことが村田修一の野球選手としての運命を変えたのかもしれません。
【遊撃手】
坂本勇人(読売ジャイアンツ)
キャリアハイ:2019年 143試合 555打数173安打 打率.312本塁打40 打点94 出塁率.396 長打率.575 OPS.971※太字はリーグ最多
通算成績(NPB):2101試合 7983打数2321安打 打率.291 本塁打288 打点1004 162盗塁 ※2023年シーズン終了時点(2007年〜2024年現在現役)
2020年は2000本安打を31歳10ヶ月という史上2番目の年少記録として達成した名実共に球界を代表する遊撃手です。
現役全盛期に2000本安打を達成する選手は数多くなく、尚且つ体力的な負担も大きい遊撃手での達成が坂本の凄さを物語っています。
キャリアハイとして挙げた2019年は打撃タイトルこそ惜しくも獲得はなりませんでしたが、遊撃手としては史上2人目(1985年の中日宇野勝)の40本本塁打達成という記録が非常に突出しています。また、2016年に打率.344で首位打者にも輝いています。
プロ野球選手として高卒2年目の2008年以降、2020年まで13年連続で規定打席に到達しており、歴代のプロ野球史でも稀有な存在だと言えます。
また、守備の面でもレギュラー定着年の2008年は素人目に見ていても送球面でやや苦しんでいるところが見受けられましたが、とあるオフに宮本慎也と自主トレを同行してから年々守備の向上が見られ、守備面でも非常に高いレベルにあるのではないかと思われます。
2016年に首位打者を獲得するまでの数年は打撃面で例年夏場以降に成績を落とし、3割に届かずシーズンを終えており「やや落ち目か」などといった周囲の不安もありましたが、プルヒッターであったこれまでの打撃スタイルを大きく改革し、右方向にも非常に強い打球が打てるようになり、ほぼ不動のレギュラーとして出場し続ける中でも成長を追い求める辺りがさすがとしか言いようがありません。
2000本安打は節目というよりも通過点という印象が非常に強く、今後とも1人のファンとして坂本の活躍を追い続けていきたいものです。
2022年は怪我の影響もあり100試合未満の出場に終わりましたが、2023年からサードの守備にも就き少しずつ現役ショートではなくなってきていますがその守備力や打撃力はまだまだ健在です。
【外野手】
松井秀喜(読売ジャイアンツ→ヤンキース→エンゼルス→アスレチックス→レイズ)
キャリアハイ:2002年 140試合 500打数167安打 打率.334 本塁打50 打点107 出塁率.461 長打率.692 OPS1.153※太字はリーグ最多
通算成績(NPB):1268試合 4572打数1390安打 打率.304 本塁打332 打点889 (1993年〜2002年 実働10年)
通算成績(MLB):1236試合 4442打数1253安打 打率.282 本塁打175 打点760 (2003年〜2012年 実働10年)
スター選手軍団の巨人、ヤンキースと全盛期は日米共に最も注目を浴びる球団で結果を残し続けてきた松井秀喜。
巨人時代の応援歌にあったように「ホームラン松井!」という通り1990年代のホームラン打者といえば松井の名前が真っ先に浮かぶことでしょう。
NPB時代は本塁打のタイトルを常にその年の旬な外国人選手と熾烈な争いを繰り広げていました。打率、本塁打、打点のタイトルを日本で獲得をし、惜しくも本塁打と打点のタイトルを獲得し、高打率を残した2002年は僅差で首位打者を逃し三冠王獲得はなりませんでした。
野球の成績での素晴らしさは野球ファンはもちろん知られていますが、それ以上に人格者として日本、アメリカ共に尊敬される存在であることが、松井秀喜が唯一無二の存在と認められているところではないでしょうか。
新庄剛志(阪神タイガース→メッツ→ジャイアンツ(MLB)→メッツ→北海道日本ハムファイターズ)
キャリアハイ:2000年 131試合 511打数142安打 打率.278 本塁打28 打点85
通算成績(NPB):1411試合 5163打数1309安打 打率.254 本塁打205 打点716 (1991年〜2000年,2004年〜2006年 実働13年)
通算成績(MLB):303試合 876打数215安打 打率.245 本塁打20 打点100 (2001年〜2003年 実働3年)
「記録よりも記憶に残るプロ野球選手」という言葉以上に新庄剛志の現役時代を知る人々は強烈なインパクトを受けたに違いありません。
もちろん、新庄自身は打撃より守備の方が好きという言葉を残しながらも打撃成績も日米で225本塁打1526安打と大半の選手が30歳を迎える前に一軍にすら上がれずユニフォームを脱いでいくこの世界でこれだけの数字を残してきた事は間違いなく凄いと言えるでしょう。
世の中的には阪神時代よりもMLB移籍、日本ハム移籍後の方がメディアでの露出が多かったことから有名になった感はありましたが、関西出身で当時の野球中継を観てきた私じょへーからすれば赤いリストバンドがやたらかっこよくて当時から弱かった阪神の中で数少ないスター選手の新庄を観ることが楽しみでした。余談ですが、小学生の時に甲子園に観戦に行った際に赤いリストバンドを買ってもらいそれをずっとつけていたことは思い出です。
阪神時代は人気球団が故にメディアで発言したことによって自分だけが目立ってしまい他の選手の嫉妬があったりなど出来るだけ思い切って発言するようなシーンはMLB移籍後や日本ハム時代ほどではありませんでした。
とは言え、意外性のある打撃に異常なまでの強肩、独特の少しジャンプしてキャッチする外野守備など非常に華のあるプレーヤーとして輝いていました。
また、2021年に北海道日本ハムファイターズの監督、BIG BOSSとしてプロ野球界に戻ってきました。
金本知憲(広島東洋カープ→阪神タイガース)
キャリアハイ:2005年 146試合 559打数183安打 打率.327 本塁打40 打点125 出塁率.429 長打率.615 OPS1.044※太字はリーグ最多
通算成績(NPB):2578試合 8915打数2539安打 打率.285 本塁打476 打点1521 167盗塁 (1992年〜2012年 実働21年)
通算成績(NPB):2578試合 8915打数2539安打 打率.285 本塁打476 打点1521 167盗塁 (1992年〜2012年 実働21年)
1492試合の連続フルイニング出場の世界記録を樹立し、骨折しても片手でバットを振りヒットを放つ離れ業をやってのけるなど、怪我を押してでも出場し続けるタフネスぶりで球界をリードしてきたレジェンド金本知憲。
連続出場だけではなく、通算で476本塁打、2539安打を記録しており、打者として素晴らしい成績を残してきました。
また、広島カープから阪神タイガースへFA移籍してからは、これまで弱小球団だった阪神タイガースをプレーと姿勢で若手へ示し、阪神を強いチームへと変えたうちの1人が金本知憲でしょう。
2000年にはトリプルスリーも達成しながらも意外ながらも打撃のタイトルは2004年の打点王のみの獲得です。
しかしながら浜風の吹く左打者に不利だと言われている広い甲子園を本拠地としながらも2005年に40本塁打を放つなど、当時の阪神にとってはいないとチームの順位へ大きく影響してしまうほど絶大なる存在感のある選手でした。
プロ野球選手が実際に試合に使ったバットで作られた「お箸」の「かっとばし」を利用して環境にやさしいSGDsの一員になり、プロ野球を持続可能な社会の一つとして支えていきましょう!
俺のセリーグベストナインまとめ(オーダーなど)
選出したベストナインでオーダーを組んでみました。
1.坂本勇人(遊)
2.荒木雅博(二)
3.金本知憲(左)
4.松井秀喜(右)
5.村田修一(三)
6.古田敦也(捕)
7.新井貴浩(一)
8.新庄剛志(中)
9.上原浩治(投)
中継ぎ:浅尾拓也
抑え:佐々木主浩
なんとまぁ、豪華なオーダーでしょうか。このベストナインは特に「じょへーの好み」で選出しているのですが、野球を見始めた世代によって選出される選手は変わってきそうですね。
外野のポジションは残念ながらセンターが新庄と松井で被ってしまったので、守備がより際立つ新庄をセンターにし、松井をライトに配置しました。(巨人時代終盤はセンターに固定されましたがライトも守った事はあるようです。)
今回は自分の好みを前面に押し出してベストナインを選出してみましたが、守備や安打数、特定の記録を縛りにして選出してみても面白いかもしれません。(この辺りがもう野球廃人笑)
皆様も思い入れのあるベストナイン、ぜひ作ってみませんか?(なんの誘いだろう笑)
コメント欄でも是非是非ご意見お待ちしております!
最後まで読んでいただきましてありがとうございました( ^ω^ )
パリーグ編ベストナインも是非お楽しみください♪
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